書評「マイノリティデザイン」澤田智洋さん――「スポーツ弱者」という視点。

マイノリティデザイン

今回は、本の紹介をしたいと思います。澤田智洋さんの『マイノリティデザイン』という一冊です。
世の中にあふれている判断基準(比較的多数派に合わせるという発想が多い中で)に対して、あえて少数派にも目を向けて考えることで視点が変わり、そこに新しい価値がありますよ、ということが優しい言葉とご自身の経験から書かれています。表紙の”Weak Is the New Strong”というのがまさにこの本の内容になります。

運動会で活躍できなかった記憶、ありませんか

子どもの頃、運動会の徒競走でいい成績が残せなかったり、体育の時間、跳び箱が跳べなくて恥ずかしかったり、みんながわかるのに自分だけがわからない問題が出てとまどったり、みんなが好きだというものが自分にはどうも合わなかったりという記憶、皆さんはありませんか。

多くの人にとって、そういう記憶は「自分が運動音痴だから」「勉強が足りないから」「少し他人とは違うから」という一言で片付けられます。少なからず私自身もそいう経験はありました。

でもこの本を読んで、その考え方自体を一度疑ってみたくなりました。

コピーライターが辿り着いた、もうひとつの視点

著者の澤田さんは、広告会社でコピーライターとして活躍されてきた方です。ご自身のお子さんに障がいがあったことなど、いくつかのきっかけから、広告の作り方そのものに疑問を持つようになったといいます。

広告は基本的に、多くの人—本の中では「マス」と表現されています—に向けて作られます。多数派に向けて、多数派に伝わる言葉で。それが広告の当たり前でした。

澤田さんはそこに、もうひとつの視点を加えました。少数派、つまりマイノリティと呼ばれる人たちの中にこそ、見過ごされてきた価値があるのではないか。その視点をもとに世界を良くしていく取り組みを、澤田さんは「マイノリティデザイン」と名付けています。

「運動音痴」ではなく「スポーツ弱者」

この本でいちばん印象に残ったのは、澤田さんご自身の話です。

澤田さんは自分の弱点を「運動音痴」と言いませんでした。「スポーツ弱者」と呼び直したのです。

たったこれだけの言い換えですが、ここに大きな発想の転換があります。「運動音痴」という言葉は、あくまで個人の問題として片付けられてしまいます。自分が悪い、自分が劣っている、という話で終わってしまう。

でも「スポーツ弱者」という言葉にすると、話が変わってきます。体育で活躍できる人を基準にして、それができない人を弱者として扱う——その仕組み自体に目が向くようになるのです。「もしかしたら、体育というものの作り方自体に問題があるんじゃないか」。そういう発想に澤田さんはたどり着きます。

そこから澤田さんが生み出したのが「ゆるスポーツ」です。既存のスポーツメーカーが見向きもしなかった「スポーツ弱者」でも楽しめる、新しいスポーツをいくつも考案しました。しかも、思いついただけで終わらせず、仲間を集めて実際に体験会を開き、市場としても成立させています。自分が気持ちよくいられる場所を、自分の手で見つけて、自分の手でつくる。その過程がとても率直に書かれていました。

ゆるスポーツと聞くと、どんな競技を思い浮かべるでしょうか。この本では、力の弱い人でも思い切り楽しめるように工夫されたスポーツがいくつも紹介されています。勝ち負けの基準そのものを変えてしまう、という発想が根底にあります。「速く走れる人が勝つ」ではなく、「別の物差しで見たら誰が一番になるのか」を考え直す。その柔軟さが、ゆるスポーツという取り組み全体を通して伝わってきます。

ふなばしスポーツとしてパラスポーツの現場に関わっていると、似たような感覚に出会うことがあります。障がいのある選手が、自分の体に合わせて独自のフォームを作り上げている姿を見るとき、「できる・できない」という単純な物差しではなく、その人なりの工夫や強みに目が向きます。澤田さんが本の中で書いていることと、現場で感じることが、どこかでつながっている気がしました。

もう一冊の本から、この本にたどり着いた

私がこの本を手に取ったきっかけは、noteでも連載を持っている岸田奈美さんの著書『もうあかんわ日記』でした。その中に澤田さんとの対談が出てきて、興味を持ちました。

お二人には共通点があります。どちらもご家族に障がいのある方がいて、その暮らしの中で見えてきた視点で世の中を語っていることです。

読んでいて、何度も考えさせられた話があります。それは「障がいというのは、周りの環境次第で変わるものだ」という考え方です。

たとえば、目が悪いというのは、今はメガネやコンタクトの登場により、それ以前の時代より困ることは少なくなっているかと思います。でもメガネが存在しなかった時代には、遠くが見えないというのはとても大きなハンディキャップだったかもしれない。、メガネという道具ひとつで本人にとっても「視力が悪い」ということがどの程度の意味があるのかが大きく変わる可能性があると考えています。

もっと言えば、もし世の中の大多数が何かができない(例えば耳の聞こえづらい人だった)としたら、今度は普通にそれができる人(耳がすごく聞こえる人たち)の方が、少数派として扱われるかもしれません。「障がい」というのは、その人自身の中にあるものというより、その人と周りの環境との間に生まれるものではないかと、お二人それぞれの言葉で語られていました。賛否はあると思いますが、この視点自体はなるほどと考えさせられるものでした。

まだ伸びしろがある、と思わせてくれる本

だからこそ、お二人は少数派をただ「マイノリティ」として扱うのではなく、そこにある価値ではと考えて、そこにいる人そのものにしっかりと目を向けています。

なによりこの2つの本から私がストレートに感じて心に響いた部分は、岸田さんも澤田さんも、ご自身の周りにいる人を—それがどんなに少数派と呼ばれる立場の人であっても本当に大切にされていて、その人たちのことを「宝物」だと表現しているところ、そこが、個人的にとても好きな部分でもあり、この本を紹介した理由でもあります。

気になった方は、まず気軽に

上にも書いた通りいろんな意見があると思いますので、もしかしたら万人向けの本ではないかもしれません。

もし少しでも気になったら、図書館などお金のかからない形でまず手に取ってみてください。それでも読んでみたいという気持ちが残ったら、ぜひじっくり読んでみてほしい一冊です。