【コラム】結果の先にある「挑む姿」が教えてくれたもの――ミラノ・コルティナ冬季パラリンピック川除大輝選手

2026年3月、イタリアの地で繰り広げられたミラノ・コルティナ冬季パラリンピックが幕を閉じました。オリンピックから続く熱狂のバトンを受け取り、雪と氷の上で人間の限界に挑むアスリートたちの姿は、私たちに多くの気づきを与えてくれました。
しかし、冷静に現状を見つめれば、オリンピックと比べた際のパラリンピックの注目度は、未だ十分とは言えない現実があります。メディアの露出量や世間の話題にのぼる頻度において、どこか「一区切りついた後のイベント」という空気感が漂ってしまうことに、寂しさを覚えるファンも少なくないでしょう。特に冬季大会は、競技特有のルールの複雑さや、雪上競技という日常からの距離感もあり、その魅力が広く浸透するにはまだ時間がかかるのかもしれません。
それでも、今回のパラリンピックには、そんな「注目度の差」など些細なことに思わせてくれるほどの、圧倒的な熱量がありました。とりわけ、クロスカントリースキー日本代表、川除大輝(かわよけ・たいき)選手が見せた滑りは、順位やメダルの色という指標を超えて、私の心に深く刻まれるものでした。
■「雪上を走る」という唯一無二のスタイル
川除選手といえば、2022年北京大会の20kmクラシカルで金メダルを獲得した、文字通り世界のトップランナーです。その滑走スタイルは、専門家や海外のライバルたちからも「クレイジー(驚異的)」と称賛されるほど独特です。
通常、クロスカントリースキーはストック(ポール)を使い、腕の力で推進力を得ることが重要視されます。しかし、川除選手はストックをほとんど頼らず、小刻みなステップと全身のバネを使って、まるで雪の上を「走る」ように進みます。そのピッチの速さは、大柄な海外選手の一歩に対して二歩、三歩と刻むほど。斜度のきつい上り坂でもその回転数が落ちない姿は、まさに「雪上のマラソン」を地で行く光景です。
私たちがテレビや現地で目にしたのは、ただ「速い」だけではない、彼の身体能力と意志が結晶となった芸術的なフォームでした。これこそが、冬季パラリンピックが持つ「オリジナルな種目」としての面白さであり、一度見れば忘れられないインパクトを放つ理由です。
■スプリントで見せた「大逃げ」の衝撃と、スポーツの美しさ
今回、多くの視聴者が興奮とともに見守ったのが、男子スプリント・クラシカルでした。距離は約1.4km。一瞬の判断ミスが勝敗を分ける、非常にシビアな種目です。
準決勝。スタート直後から川除選手はアクセルを全開にしました。得意の上り坂で一気にリードを広げ、後続を引き離す「大逃げ」の展開。その姿は、まるで勝利への渇望を全身で表現しているかのようでした。「このまま逃げ切ってほしい」、誰もがそう願い、画面越しに声を張り上げたことでしょう。私の家族も例外ではなく、テレビの前で川除選手の果敢な走りに我を忘れて応援していました。
しかし、勝負の世界は甘くありません。後半のくだりと平地、後続の選手たちが猛追し、ゴール直前で川除選手は惜しくも抜かれ、準決勝敗退(そのレースで4位)という結果に終わりました。
レース後、川除選手は「判断を誤った」「不甲斐ない」と自らを責め、期待に応えられなかったことを謝罪するコメントを残しました。金メダリストとしてのプライド、そして自分を追い込んできた自負があるからこそ、4位や予選敗退という結果は、彼にとって耐え難い悔しさだったはずです。ですが我が家ではレースが始まってびっくりするくらい飛び出した川除選手を見て圧倒されてしまいました。まじか、そんなチャレンジしていくのかと。
見終わった後も本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
■「申し訳ない」の言葉に、私たちが返すべきもの
ここで私たちが考えるべきは、アスリートが口にする「申し訳ない」という言葉の受け止め方です。
私たちはつい、メダルという分かりやすい成果に価値を置きがちです。しかし、川除選手が見せたあの「大逃げ」の勇姿には、結果だけで推し量ることのできない価値が充満していました。最初から最後まで全力を出し切り、リスクを恐れずに自分のスタイルを貫いたこと。その挑戦のプロセスそのものが、見る者に勇気を与え、スポーツの純粋な楽しさを思い出させてくれたのです。
勝負に負けたことは事実かもしれません。しかし、敗北が挑戦の価値を損なうことは決してありません。むしろ、あの極限状態での「果敢なチャレンジ」で勝負に行った、それがあったからこそ、私たちはスポーツにこれほどまでに心を動かされたのです。
何度も言いますが、川除選手に対し私たちが抱いた感情は「残念」ではなく、ただただ「ありがとう」という感謝の念でした。彼がどれほどのプレッシャーを背負い、どれほどの努力を積み重ねてあのスタートラインに立ったのか。それを想像するだけで、謝罪の言葉など不要であることは明白です。
■「共生」のカタチ
スポーツは、特定の誰か、あるいは勝者だけのものではありません。船橋の街で健康のために走る人も、リハビリを兼ねて身体を動かす人も、そして世界の頂点で戦うパラスポーツの選手も、本質的な「楽しさ」と「挑戦」においては地続きです。
川除選手の滑りを見て、多くの子供たちが「かっこいい」「自分もあんなふうに何かに夢中になりたい」と感じたことでしょう。その感情こそが、次世代のスポーツ文化を育む種となります。障がいの有無に関わらず、誰もが自分の限界に挑み、それを周囲がフラットな視点で称え合う社会。パラリンピックが盛り上がるか否かという議論の先にあるのは、そうした「誰もが主役になれる」コミュニティの実現です。
冬季パラリンピックが終わり、日常が戻ってきます。しかし、川除選手が雪上に刻んだあのピッチの音は、私たちの心の中で響き続けています。彼が「申し訳ない」と感じる必要など、どこにもありません。あの勇気ある走りが、どれほど多くの人を元気づけ、スポーツの可能性を広げてくれたか。その功績は、メダル以上の重みを持って私たちの未来に繋がっています。
最後に、川除選手の想いなどが書かれている素敵な記事を一つご紹介します。
この記事を読むと、彼がいかに真摯に雪と向き合い、どんな想いでミラノ・コルティナの風を感じていたかがより深く理解できるはずです。権利の関係上、内容に深く立ち入ることは避けますが、ぜひ皆様ご自身で彼の「心の奥底」に触れてみてください。
川除選手、素晴らしいレースをありがとうございました。あなたの走りは、私たちの誇りです。

