「ニコニコと没落する=ニコ没」という勇気――自分との向き合い方

ニコ没

はじめに:スポーツと「成功」のプレッシャー

船橋の街を歩けば、学校の校庭から聞こえる部活動の元気な声、公園でジョギングに励む市民の皆さんの姿、スポーツは、私たちに「目標に向かって努力する素晴らしさ」や「勝利の喜び」を教えてくれる、かけがえのないものです。

しかし、その一方で、私たちは常に「成功しなければならない」「成長し続けなければならない」という目に見えないプレッシャーの中にいるようにも感じます。試合に勝つこと、自己ベストを更新すること、あるいは地域活動を右肩上がりに成長させること。こうした「上昇」だけが唯一の正解とされる価値観の中で、思うように結果が出ない時や、年齢や環境の変化によって以前のようなパフォーマンスができなくなった時、私たちは「停滞」や「失敗」を過度に恐れ、時に自分を追い詰めてしまうことがあります。これは職場でもあることだと思います。

そんな今だからこそ、私たちが静かに向き合ってみたい一つの言葉があります。それが「ニコ没(ニコニコと没落する)」という考え方です。

「ニコ没」という言葉との出会い

「ニコ没」――。この少し不思議で、どこかユーモラスな響きを持つ言葉を、私は尊敬する職場の先輩から教わりました。

「ニコ没」という言葉の生みの親は、戦後の日本を支えた渋沢敬三氏だと言われています。彼は、新千円札の顔としても知られる「日本資本主義の父」渋沢栄一の孫であり、自身も日銀総裁や大蔵大臣を歴任した人物です。

この言葉が生まれた背景には、日本の歴史を揺るがした「財閥解体」がありました。戦後、GHQによって多くの財閥が解体される中、渋沢家もまたその対象となりました。渋沢敬三氏は大蔵大臣という立場もあり、一説には特例として解体を免れる道もあったと言われています。しかし、彼はあえてその特権を拒み、「ニコニコしながら没落しよう」と、自ら財産税の納付を受け入れ、一族の資産を投げ出す道を選びました。

そこにあったのは、個人の富や立場を守ることよりも、「日本が次のステップへ進むためには、古い構造を自ら壊す必要がある」という、静かですが力強い挑戦の精神でした。莫大な資産を失うことは、世間一般の基準で見れば「没落」です。しかし彼は、その運命を悲観するのではなく、新しい時代を迎えるための必要な一歩として、笑顔で受け入れました。

成田悠輔氏のスピーチと現代の「ニコ没」

この「ニコ没」という言葉は、最近、経済学者の成田悠輔氏がある学校の卒業式で行ったスピーチをきっかけに再び注目を集めています。私自身もその動画に触れ、今の時代にこの考え方がいかに重要かを深く考えさせられました。

【参照動画】成田悠輔氏 スピーチ https://www.youtube.com/watch?v=bbQX89lVkj4 (音が出ます)

成田氏はスピーチの中で、マルクス・アウレリウスの言葉を引用しながら、「投げられた石にとって、登っていくことが良いことでもなければ、落ちていくことが悪いことでもない」と語りかけています。私たちはどうしても「上がる=善」「下がる=悪」と決めつけてしまいがちですが、それはあくまで一つの見方に過ぎません。

成功や称賛に執着しすぎると、失敗を恐れて新しい実験ができなくなります。むしろ「失敗してもいい、没落してもいい」とニコニコしながら構えていられる心の余裕があるからこそ、何ものにも縛られない自由な挑戦が可能になるのではないでしょうか。この「ニコ没」という言葉をどう受け入れればいいのか、私は少しの間、深く悩み、考え込んでしまいました。

スポーツにおける「没落」と「挑戦」の再定義

この言葉を反芻する中で、私なりの一つの答えが見えてきました。

私はこの言葉を、「失敗や停滞を恐れずに、むしろそれを受け入れることで、挑戦そのものを楽しむ生き方」への招待状だと考えています。

この考え方を、私たちの身近なスポーツの現場に置き換えてみましょう。

現役選手であれば、どれほど輝かしい戦績を収めたとしても、いつかは衰えや引退という「没落」の時期が訪れます。また、怪我やスランプによって、昨日までできていたことができなくなる「停滞」の瞬間も多々あります。それを「終わりの始まり」と捉えて絶望するか、あるいは「新しい自分に出会うためのリセット」と捉えてニコニコと受け入れるか。

「ニコ没」の精神とは、決して努力を放棄することや自暴自棄になることではありません。「失敗や停滞を恐れず、むしろそれを受け入れることで、挑戦そのものを楽しむ」という生き方の選択です。

今の結果が客観的に見て「成功」か「失敗」かという評価に振り回されるよりも、自分の心が何に挑戦し、どう変化しているのかに目を向ける。他人の基準ではなく、自分の心持ち次第で、停滞は「次の一歩目」に変えることができるはずです。

ふなばしスポーツの現場に「ニコ没」を

私たちが「ふなばしスポーツ」の活動を通じて大切にしているのは、障がいの有無や年齢、競技レベルを問わず、誰もがスポーツを楽しみ、つながり合える場を作ることです。

そこでは、華やかな勝利だけが価値ではありません。初めてボッチャを体験して思うようにいかなかった時の苦笑い、リハビリの中で少しずつ動かせるようになった手足への感謝、ボランティアとして支える側になった時に感じる新しい喜び。これらはすべて、ある意味で「これまでの自分」からの変化であり、新しい世界への「ニコ没」的な移行とも言えます。

誰かが失敗した時、あるいは以前のような力が発揮できなくなった時。周りがそれを「没落」と憐れむのではなく、「次は何を楽しみましょうか?」とニコニコしながら迎え入れられる。そんな優しく、かつ挑戦的な空気が船橋のスポーツシーンに広がれば、これほど心強いことはありません。

皆さんはどう思われますか?

「ニコニコと没落をする」。一見すると矛盾しているように聞こえるこの言葉は、私たちに「成功の定義」を問い直させてくれます。

もし今、何かがうまくいかずつらい思いをされている方がいれば、この言葉を「今は次のステージへ進むための、貴重なリセット期間なのだ」と捉えるヒントにしてみてください。逆に、今すべてが順調で成功の中にいる方は、その成功に固執せず、いつか来る変化を笑顔で受け入れる準備をすることで、より深く今の瞬間を楽しめるようになるかもしれません。

「ニコ没」をどう解釈し、どう生活に取り入れるかは、人それぞれで正解はありません。そもそも取り入れなくても良いとも思っています。ただ一つ言えるのは、私たちが結果を恐れずにニコニコと挑戦し続ける限り、未来は常に新しく、面白いものであり続けるのかなということだと思っています。

皆さんはどう思われますか?ぜひ、グラウンドや体育館でお会いした際に、皆さんの「ニコ没」論を聞かせていただければ幸いです。