スポーツイベントとボランティアとお金の話 ──「やりがい」について、ふと考えたこと

スポーツイベントとボランティア

今年も残すところあとわずかですね。 2025年は、私たちにとっても、スポーツ界にとっても本当に濃い1年でした。特に東京で開催された世界陸上、そして11月のデフリンピック。会場やテレビでその熱狂に触れた方も多いのではないでしょうか。

今回は、先日ふなばしスポーツのメンバーと雑談をしていた時に、ふと話題に上がったことについて書いてみたいと思います。 雑談ベースの軽い意見交換だったのですが、私の中でなんだか気になっているテーマがありまして。

それは、スポーツイベントにおける「ボランティア」と、たまに耳にする「やりがい搾取」という言葉についてです。

「あー、その話ね」と思われるかもしれません。ちょっとセンシティブで、正解のない話です。でも、だからこそ、肩肘張らずに「実際のところどうなんだろう?」と、皆さんと一緒に少しだけ考えてみたいのです。

「儲かっている」のに「タダ」? という素朴な疑問

話のきっかけは単純です。 「経済的にものすごい効果があったイベントで、現場で汗を流したボランティアの方々に報酬がなかったのは、どうしてなんだろう?」 という、ふとした疑問でした。

最近はこういう状況を指して、「やりがい搾取」なんて強い言葉で批判されることもあります。 つまり、「好きで参加しているんでしょ?」「興味があってやりたいんでしょ?」という「やりがい」を報酬の代わりにして、労働力をタダで使っているんじゃないか、という議論です。

この話題、以前から大きなイベントがあるたびに繰り返されていますよね。 もちろん、運営する側にも事情があるのは分かります。でも、これだけスポーツビジネスが巨大化している中で、この仕組みは今のままでいいのかな? と、いちスポーツファンとして考えてしまうのです。そこまで考えなくても良いかなと思いつつも結構同じようなことを書かれていたり、きちんと定義されようとしている方々がいたりと様々な印象です。例えばこんな意見(外部サイトが開きます)こんな形で魅力をわかりやすく伝えられている方々(こちらも別サイトが開きます)がいます。

数字で見る「世界陸上」のリアル

ちょっとだけ、実際の数字を見てみましょう。 先日開催された世界陸上、私も楽しくテレビで観戦しましたし、日本の選手の活躍に大興奮しました。

この大会、後から出た試算によると、収入と支出は共に約174億円だったそうです。 平たく言うと、運営としての収支は「トントン(プラスマイナスゼロ)」。つまり、運営のお財布事情だけを見れば「ボランティアに報酬を払う余裕なんて、どこにもなかった」というのが現実です。東京都も費用を負担されていますので、シンプルに見てしまうと都民の方々の税金までも投入されてトントンです。

「ほら、やっぱり無理じゃないか」

そう思う一方で、別の数字もあります。 大会前に日本陸連が試算した「経済波及効果」は、なんと約500億円PDFが開きます)。 実際には想定以上の観客が入ったり、チケット収益が良かったりしたので、おそらくこの数字以上の経済効果があったと見られます。ホテルも埋まり、飲食店も賑わい、グッズも売れた。経済的には「大成功」と言っていいイベントでした。

ここで、頭の中に「?」が浮かぶわけです。 「世の中的には500億円以上の価値を生み出したのに、現場を支えた3,400人のボランティアには還元されない仕組みって、なんだか不思議じゃない?」と。

「搾取」と言われることへの違和感

ただ、ここで勘違いしてはいけないのが、参加されたボランティアの方々の気持ちです。

もし私が、「あなたはやりがい搾取されていますよ!」なんて言ったら、 「いやいや、余計なお世話ですけど?」 と返されるでしょう。正直、私もそう思います。

なぜなら、ボランティアの皆さんは「報酬がない」ことも、「交通費や食事などの条件」も全部理解したうえで、「自分からやりたくて」参加されているからです。 参加された方の感想などを読むと、そこにはお金では買えない喜びがあふれています。 世界トップのアスリートを間近で見られた興奮、大会を成功させた達成感、そこで出会った仲間。これらは紛れもなく、その人にとっての「報酬」に変わる価値だと感じることができます。
スペインに住んでいる知り合いからも言われたのですが、ボランティアのユニフォームだったアシックスが提供した紫の上着、グレーのパンツ、明るい赤のスニーカーがとてもセンスがいいと評判になっていたり、私が知らないところで今回のボランティアの皆さんが報酬ではない高い評価を得ているのも紛れもない事実です。

私自身、昔もし陸上を志していたとしたら、チケットを買って観戦に行くだけじゃなく、「運営側としてフィールドに立ちたい」「選手をサポートしたい」と願うと思います。そこにお金が出るかどうかは、二の次かもしれません。

だから、参加者の「純粋な想い」を、外野が勝手に「搾取」と決めつけるのは違いますし、失礼な話ですよね。

もしも「時給」を払っていたら? ──AIと計算してみた

でも、「みんなが満足しているなら、それでいいじゃん」で思考停止してしまうのも、なんだか違う気がするのです。 そこで今回、私よりも優秀で冷静な生成AI「Gemini」に手伝ってもらって、あるシミュレーションをしてみました。

「もし、今回のボランティア全員に、適正な報酬(時給)を払っていたら、いくら必要だった?」

Geminiがはじき出した数字は、およそ4.5億円でした。 (※人数や拘束時間と間接的費用も含めざっくり計算したものです)

先ほど、運営収支は174億円でトントンだったとお話ししました。 つまり、この4.5億円を払っていたら、大会運営は完全に「赤字」になります。 「赤字になるなら無理だよね」という結論になるのが普通です。

でも、ここでもう一度、あの「500億円」という数字を思い出してください。 経済全体に500億円以上のプラスを生んでいるイベントで、その運営を支えるための4.5億円が出せない。 ちなみにこの4.5億円、全体のコスト174億から見ても3%にも満たない金額です。

個人的に思うのですが、 「全体の3%弱のコストで、プロとして責任あるスタッフを配置できるなら、そのほうが健全なんじゃない?」 「経済効果を含めた全体の中で、このコストを吸収する仕組みは作れないものか?」 そんな「たられば」が頭の中をぐるぐる回ります。

もし報酬があれば、より専門的なスキルを持った人を集められるかもしれない。 「ボランティアが集まらない!」と焦ることもなくなるかもしれない(ちなみに今回の世界陸上もデフリンピックも2-3倍の倍率での応募があったそうですので、単純に人数で言ったらここは心配ないかもですね…)。 何より、「善意」に頼り切りにならず、持続可能なイベント運営ができるかもしれない。

今の仕組みが悪いとは言いません。でも、もう少し柔軟な「お金とボランティアの関係」があってもいいような気がしませんか?

私たちが目指す「心地よいサポート」

まあ、これ誰と話しても結論なんて出ないんですけどね(笑)。 「お金が全てじゃない」というのも正解だし、「対価は払うべき」というのも正解。どちらも間違っていません。

ただ、この難しい問題を考えながら、ふなばしスポーツとして改めて思ったことがあります。 それは、「私たちは何のためにサポートをするのか」という原点です。

私たちが目指しているのは、障がいの有無に関係なく、すべての「競技者(アスリート)」が、気持ちよく、最高のパフォーマンスを発揮できる環境を作ること。 そのために必要なサポートの「質」をどうやって確保するか。

もし、無償であることがサポートの質の低下につながったり、誰かに無理をさせているなら、それは見直すべきです。 逆に、ボランティアだからこそ生まれる温かいコミュニケーションや、熱意が大会を支えているなら、その文化は大切にしたい。

「やりがい搾取」なんて言葉だけでかたずけるのではなく、「どうすれば、もっとみんながハッピーにスポーツに関われるか」 そんな視点で、これからも活動していきたいと思います。と自己反省も含め思った次第です。

昔、陸上選手に憧れた人が、大人になってボランティアとして輝く。 そんなシンプルだけど素敵なサイクルが、誰もが納得できる形で続いていくといいですよね。 私たちも、まずは身近な船橋のイベントから、そんな「心地よい場所」を作っていけたらなと思っています。